トキワ荘プロジェクト、京都版トキワ荘事業、マンガHONZなどの中の人、菊池健さんが執筆するブログ「漫画の真ん中」より特別掲載! マンガ業界データや同行、新人漫画家支援についてなど、マンガ業界の耳よりな情報をお届けします。今回は、「これまでの漫画」と「スマホマンガ」の境界線イメージについてのコラムです。
現状は1960年頃にそっくり?漫画の歴史はスマホによってまた繰り返されるか。これから作り手の道は。
今回は、私、菊池健の考える現状の「これまでの漫画」と「スマホマンガ」の境界線イメージを書きます。
◆漫画原作者 猪原賽さん
アラサー以上が嫌悪感を示す「電子書籍」
(中略)
そうして電子書籍にすら触れない人々が、縦スクロールマンガなんて見た日には、「マンガじゃない」という判断をして鼻にもかけない。
とある編集者の話
知人のマンガ雑誌の編集者の話です。書店でcomico作家のサイン会が開催されると聞いて、こっそり偵察のつもりで様子を見に行ったそうです。
そこで見たものは、十代とおぼしき若者達の列。
(中略)
(自分の抱える作家の)サイン会に集まるようなマニア層はこれからどんどん年齢が高くなっていく。自分達が欲しくて、開拓したい“若者”を集めているcomico作家サイン会の様子に、何かくやしいものを見た――と彼は言っていました。
さすが現役作家さんのお話です。「そうそう、それ!」です。
これを読んで、久々に思い出したのが、何度紹介しても飽き足らないニコニコ動画の名作「週刊マンガ雑誌の歴史」 に描かれた、週刊漫画誌勃興期から、創世記、円熟期、衰退期までの歴史です。書籍でもここまでまとめられているものは、なかなかないと思います。
→週刊マンガ雑誌の歴史 ‐ ニコニコ動画:GINZA
これは本当に良作なんですが、非常に長いので、ここではエントリーに関係がありそうなところだけ抜粋します。
—超略年表—————————–
1950年代:
’59年に、日本初の週刊少年漫画誌、サンデーとマガジンが創刊する。約30万部。漫画は基本、子どものもの。
1960年代:
2誌が規模を拡大。「大学生が漫画を読んでいる」ことが問題になり、そのあまりの社会的影響から60年代半ばにPTAなどによる「悪書」追放運動が起こる。
’68年ジャンプが創刊
’60年代後半には、マガジンが100万部到達。
’70年~’80年代:
ひたすら成長を続ける漫画雑誌と漫画市場。読者数もうなぎのぼり。
1990年代:
週刊少年ジャンプが600万部時代に、漫画は趣味の範囲を超え、若い人のほとんどが、なんらか漫画を読んでいるというものにまでなった。
’95年、週刊少年ジャンプが653万部の週刊誌部数ギネス記録。この時、『ドラゴンボール』が最終回を迎え、2000年代にかけて漫画誌の部数が衰退期に。
2015年現在:←これは動画にありませんが、私が追記。
週刊少年ジャンプ部数が250万部前後、対してスマホマンガアプリのダウンロード数が1000万を超える。
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漫画の歴史から、スマホ後をイメージする
上記を踏まえて、漫画の歴史と読者の年齢層の相関関係を紐解いてみます。
注:今回、数字の取り様のないところが多く、いつもと違い、完全に私の主観で表を「イメージ」として作っています。
お叱り甘んじて受けますが、あくまで「イメージ」と「仮説」の産物だとご理解いただけますと幸いです。
◆’50年代
1959年3月18日、それまで月刊誌が主体であった漫画界に、サンデー・マガジンという2つの週刊漫画誌が発刊されました。
当時、漫画誌は月刊誌が主流で、まだまだ漫画は子供ものとされていた時代でした。
この当時のマンガを読む人の構図を、物凄くデフォルメすると、多分こんな感じかと思います。
図1:50年代(イメージ)
◆’60年代
手塚治虫先生を筆頭としたトキワ荘勢を中心に、純然たるマンガを中心に成長続けるサンデーと、貸本業界を活躍の場としてい た、さいとうたかお先生、白戸三平先生を中心とした写実的な「劇画」制作集団「劇画工房」勢を中心としたマガジンの両誌は凌ぎを削りました。
創刊時は30万冊前後であった週刊漫画雑誌も、その約10年後70年代にはマガジンが100万部を発行するなど、どんどん成長していきました。
60年代半ば「悪書追放」運動が起こり、「大学生がマンガ雑誌を読むようになった。」と言われて社会問題化しました。
(ちなみに、きっかけになった作品はアニメ化された『おそ松くん』だそうです。)
今では、雑誌を読む人もおらず、老若男女がスマホを見ているわけですが、数世代にわたり隔世ですね。
(おそ松さんは大ヒットで、世は通常営業中です。)
当時の漫画読者/非漫画読者の構図は、きっとこんな感じです。
図2:60年代(イメージ)
漫画雑誌の興亡史としては、’60年~’80年代は凄く面白い時代なのですが、読者構成の成長的には一本調子なので、一気に’90年代まで行きます。
◆’90年代
ジャンプが650万部販売するギネス記録を出した頃、漫画の普及イメージはこんな形でしたでしょうか。
そろそろ、かなり上の世代の人にも漫画を読む人が常態化していそうです。
図3:90年代(イメージ)
◆2015年現在
スマホに最適化した縦スクロールマンガが2013年くらいから急速に発展しました。
それより少し前、スマホが普及し始めた2010年くらいから、漫画読者にあたる人たちの娯楽が漫画以外にも急速に分散し、エンターテイメント産業は「可処分時間の取り合い」という言い方をするようになりました。
一方、中高生のスマホ利用や、その時間の使い方の変化は急速でした。
– 10代のスマホ利用率は高まり、高校生の8割はスマホを持ってるそうです。
– そのスマホを持っている高校生は、なんと40%がcomicoを読んでいるそうです。
結論的に、今はこんな構図なのではないでしょうか。
図4:2015年現在(イメージ)
90年代~2000年代のころ、マンガのアニメ・ドラマ・映画など映像化が、ヒット作品の勝利の方程式でした。
しかしここ最近は、90年代などにヒットした漫画作品の映像化が目立つようになりました。
これは、映像化後のお客さんとして、現在連載中の漫画を読んでいる人ではなく、連載当時にこの作品が好きだった、現在の大人層を対象とした映像化・商品化であり、それそのものは戦略としても自然です。
単に、10代向けではない作品が映像化されたと、意味を抽出することも出来るかと思います。
(逆に、原作枯渇という問題もありますが、絶対的に悪いということもないかと。)
◆2015年以降
そして、歴史が繰り返されるのであれば、今後は以下のように推移する?かも知れません。
図5:2015年以降(イメージ)
基本的に、読者は右にずれていきそうです。
紙の読者はゆっくりと減り、今の10代が40代くらいになったころ、消費の形は大変化をしていることでしょう。
そして、赤の部分、更にスマホに代わるデバイスや、漫画と日本人の新しい付き合い方が、今は想像できないような形で生まれるのかもしれません。
20年前に、今の世の中を想像できた人は、スティーブジョブズただ1人だけだったのかも。
50年~60年代に起きたことが、今また起きていくとすると
さて、ここまでを振り返って、漫画の読者や作り手が、どう変わっていくか考えてみます。
◆読者編
図1-2から考えると、これらの図で言う上にいる非漫画読者世代の方々は、後にマンガを読むようになったでしょうか?想像するに、読むようにはならないまま、消費市場から消えていったと思います。
つまり、この構図を現在の図4に当てはめた場合、現在まで既存のマンガを読んできた上の世代が、そのまま今までのマンガを読み続け、スマホ縦スクロールのマンガに降りてこないということも十分に考えられます。
その場合、人口の多いこの層は、そのままこの層として消費しなくなるまで分厚く存在し続けるとも言えるかもしれません。
(いつまで漫画を読み続けるかは判りませんが、確かに現在60代でも漫画を読む方はいらっしゃいます。)
一方、新しく市場が出来ているところについては、かつて創世記の漫画読者と非漫画読者の断層が、時代とともに移動していったとおり、このまま年を経るごとに推移していくことが考えられます。
図4において、紙の漫画を読んでいる若者がいるところに数字を残しているのは、私の個人的実感値です。
私は、全国の漫画を教える専門学校・大学などで講義・講義をさせていただく機会があります。
そこで、講座を始める前に、必ず挙手アンケートを取るのですが、そこで実感していることは以下です。
- 漫画を勉強にしに来ている学生(20代前後)は、紙の漫画を良く読んでいて、自分が紙の漫画で描くことにこだわりを持っている人が多い
- そして、むしろそういう学校にいる彼らのほうが、スマホマンガや電子書籍に関心が低い。スマホマンガの使用率は、上記の数字以下。電子書籍購入にいたっては、電子書籍にお金を払った経験がある学生は、体感値で5%以下。普通に雑誌や単行本を紙で買っている。
このことから考えられるのは、「漫画は若い世代にとって、スポーツや他のエンタメと並ぶ趣味の一つとなった。その趣味としている人たちは、可処分時間の振り分けの問題で、意外とスマホマンガを読んでない。」ということです。
あくまで個人的肌感覚ですが、同じように学校まわりをしている編集者さんなどと話すと、だいたいこのあたりで同意することが多いです。
結果的に、現状は恐らく図4のような構図になっており、将来的にはこれが右にスライドしていくのではないかと推測します。
◆作り手編
読み手の変化があるからと言って、マンガを作っていた人が、もう新しいところに何も提供できないかというと、悲観する必要もないとは思います。
日本マンガ市場の代表作品を一つ選べといわれれば『ドラゴンボール』としても間違いはないかと思います。
『ドラゴンボール』のモチーフをたどった場合、色々ありますが『西遊記』がその一つになると思います。勿論、両作は全く違う作品ですが、それでも多くの部分で共通の項目は見つけられると思います。
『西遊記』は、16世紀に今の中国で生まれ、読み物、戯曲、大意の芝居全般、ドラマ、映画、あらゆる形で、時代に合わせて表現され、『ドラゴンボール』では漫画になりました。
それを考えれば、例えば『ドラゴンボール』や『西遊記』が、更に分解され、現在の縦スクロールマンガに昇華してもおかしくはないのではないでしょうか。むしろ、ドラゴンボールを縦読みマンガに編集しなおして、現代版にカスタマイズしても良いのかもしれません。
これは『西遊少女』という作品に、予兆があります。
西遊少女 #01 | 萱島雄太 | YUTA KAYASHIMA
龍神賞作家の萱島雄太、元小説家の豊島ミホ、パブーで連載 – コミックナタリー
作り手の立場でも、一ついえることがあります。
前述の「週刊マンガ雑誌の歴史」にもありますが、60年代に漫画を飛躍させた、『巨人の星』『あしたのジョー』の原作者であった梶原一騎さんは、元々漫画原作者ではなく小説家志望でしたし、代表的漫画家の1人とされるやなせたかし先生は、そもそも絵本作家です。
最近も元気に活動されている小池一夫先生は、漫画より前にもともと映画などの脚本を書いておられましたし、漫画の神様手塚治虫先生に至っては「やりたいのは映画やアニメ(活動写真)」と広言されていました。
そういう意味では、現在の漫画家や編集者さんなど、作り手側の人たちは、表現の仕方に変化があったにせよ、作り手として変化していくことは出来るのではないでしょうか。
漫画家・編集者ほか作り手側は、どうすれば良いのか
「最も強い人は、変化できる人だ。」とは、昔から言われてきたことです。
ただ、今起きていることが、過去をなぞっているとすれば、現役の作り手側で、逃げ切れない世代の方は、時代の変化の中で「創作するという本質を抑えながらも、出口である表現方法を新しくしていく必要性」も考慮して良いと思います。
(必ずしも、全員変化せよという話でもないとも思いますが。)
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